「神の前でひとつになって」  05.11.20
                    使徒言行録10:1〜33

 ユダヤを支配するローマ軍の百人隊長コルネリウスが、偉そうに
するのではなく、ユダヤ人のペトロの足元にひれ伏しています。
 ペトロは、コルネリウスを異邦人だからと言って蔑み、軽んじる
のでなく、「私も同じ、ただの人間です」と言います。これは、とても
不思議な光景です。お互いに大きな隔たりの壁を持っていた異邦人と
ユダヤ人が、ここでは互いに尊重しあう美しい関係を持っているからです。
 「神さまは人を分けへだてなさらない」(34節)ことが、本当に分かった
ときに、互いの間にあった隔ての壁を乗り越えていくことが出来ました。
 そして、このような豊かな人間関係が生まれはじめます。

 壁を乗り越えることが出来たのは、自分の思いや経験からくる判断を
優先することを止めた時でした。それらを脇において、神さまに従って
いこうとした時に、壁を乗り越えていく者になっていきました。
 この出会いの前、二人とも祈っていました。神さまに向かって心を開き、
身を委ねていました。その中で、コルネリウスは、ペトロを家に招くように
示され、それに従っていきます
 ペトロは、神さまは異邦人をも清めることがおできになることを示され
ました。そして、神さまが清めた人として、異邦人のコルネリウスを見る
目が開かれていきました。自分でなく、神さまの心に従おうとする時に、
人を見る目は変わります。

 「神は、どんな人をも清くない者とか、汚れている者とか言っては
ならないと、お示しになりました」(28節)。ここで言われているのは、
人間はみんな平等だということではなく、どんな者をも清めることが
おできになる神さまのことです。イエスさまは、罪人たちと喜んで食事を
しておられました。

 どんな罪人でも、ご自分の十字架によって清められることを
ご存知だったからです。
 神さまは、人を清めてご自分の民としてふさわしい人間に
変えてくださいます。
 私たちは、すでに清めていただきました。
 罪人を清める十字架の恵みが、私を、そして隣人たちをも

包みこみます。